ソフィア・ファーム・コミュニティー [バイオダイナミック農法]
A Biodynamic CSA Farm
based on Rudolf Steiner's indications for a healing, ecological, and spiritual approach to a sustainable care of the Earth.
バイオダイナミック農業の生産物は、食べる人の人生の課題に気づき、行動する力を与えてくれると言われています。
ソフィア・ファーム・コミュニティはバイオダイナミック農業を実践し、心の栄養となる生産物を供給していきます。
ソフィア・ファーム・コミュニティの活動を通して、少しでも地球を癒せればと思っています。
皆様のお力をお借りして、野菜や動物を育て、環境に配慮し、
地球を癒す生き方にチャレンジする多くの方に、学びの場を提供できればと願っています。
どうぞ皆様、ソフィア・ファーム・コミュニティーの活動にご協力ください。

HP Top > 日誌Top > このみ/ Konomi Campbell > 原・;発がどんなものか知ってほしい。ひらいさんの文章

< 前のページ | このみ/ Konomi Campbell BackNumber | 後ろのページ >

2011/03/26
原・;発がどんなものか知ってほしい。ひらいさんの文章
[このみ/ Konomi CampbellComment(2)]
(ネットw規。制法案により、ある言葉が入っていると中国のように記事が削除されるようになりましたので、この文章だけは取っておきたいと思い、ここに変更して載せました)

私は原////発(以下「源」と表示します) 反対運動家ではありません。

 二十年間、原し力発電所の現場で働いていた者です。源については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「源とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない源の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、源がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、ひ曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

 はじめて聞かれる話も多いと思います。どうか、最後まで読んで、それから、源をどうしたらいいか、みなさんで考えられたらいいと思います。源について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、源の本当のことは分かりません。

 私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。二○代の終わりごろに、日本に源を造るというのでスカウトされて、源に行きました。一作業負だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、源の中のことはほとんど知っています。
「安全」は机上の話

 去年(一九九五年)の一月一七日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で源が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。源は地震で本当に大丈夫か、と。しかし、決して大丈夫ではありません。国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。

 この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも源との共通点の多さに、改めて考えさせられました。まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1人考えてもみなかったと思います。

 世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。

 なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。
素人が造る源

 源でも、源子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、源を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。

 源にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、源や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。

 日本の源の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。

 仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の源なのです。

 ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の源の実情です。

 例えば、東京でん力の福島源では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した源も危ないのですが、新しい源も素人が造るという意味で危ないのは同じです。

 現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。

 また、源にはほう射 能の被・曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。源の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。

 また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、源の方にでも行こうかなあということになります。

 皆さんは何か勘違いしていて、源というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。

 ですから、素人が造る源ということで、源はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。
名ばかりの検査・検査官

 源を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。

 検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。

 源の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各源に置くことが閣議で決まりました。源の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。

 というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技 庁(科 学技  術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は「自分たちの職場の職員は、被  曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が源の専門検査官として運転許可を出した。美浜源にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このようにまったくの素人が出す源の運転許可を信用できますか。

 東 京電 ・力の福島源で、緊急炉  心冷 ・却装置(E・CC・S)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している源で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。

 そんないい加減な人の下に原し力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が源の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原し炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。だから、源の事故のことも電力会社ではなく、メー力−でないと、詳しいことは分からないのです。

 私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は源を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。このように、日本の源行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。
いいかげんな源の耐震設計

 阪神大震災後に、慌ただしく日本中の源の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの源も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。私が関わった限り、初めのころの源では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。1993年に、女 川源の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。なぜ大変だったかというと、この源では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。これは、東北電 力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。

 こういう地震で異常な止まり方をした源は、1987年に福島源でも起きていますが、同じ型の源が全国で10もあります。これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。
定期点検工事も素人が

 源は1年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることになっていて、定期検査、定検といっています。原し ・炉には70気圧とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被  。曝が伴うわけです。

 源は一回動かすと、中はほう射 能、ほう射。線でいっぱいになりますから、その中で人間がほう・射線を浴びながら働いているのです。そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。防護服というと、ほう射 ・能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。ほう射 ・線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。つまり、防護服はほう射 ・能を外に持ち出さないための単なる作業着です。作業している人をほう射 。能から守るものではないのです。だから、作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって、ひ曝していないかどうか検査をするんです。体の表面にほう射 ・能がついている、いわゆる外部ひ曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、ほう射 。能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られます。

 また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。それにほう射 ・能を吸わないように全面マスクを付けたりします。そういうかっこうで現場に入り、ほう射 。能の心配をしながら働くわけですから、実際、源の中ではいい仕事は絶対に出来ません。普通の職場とはまったく違うのです。

 そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。

 例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場はほう射 ・線管理区域ですから、ほう射 ・能がいっぱいあって最悪な所です。作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によってほう射 
線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。分刻みです。

 現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴びてよいほう ・射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間作業ができる所だとすると、20分経つとアラ−ムメーターが鳴るようにしてある。だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。でも現場には時計がありません。時計を持って入ると、時計がほう 射・能で汚染されますから腹時計です。そうやって、現場に行きます。

 そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたかな、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。アラームメーターが鳴るのが怖いですから。アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、顔から血の気が引くくらい怖いものです。これは経験した者でないと分かりません。ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいのほう射 s線の量に当たります。ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。すると、どうなりますか。
ほう射 。能垂れ流しの海

 冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海にほう ・射 能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。日本の海がほう射 ・能で汚染されてしまっているのです。

 海にほう射 ・能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。源はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これがほう射 ・能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。

 源の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。

 ぼう護服にはほう 射。性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。排水口でほう射 ・線の量を計ると、すごい量です。こういう所で魚の養殖をしています。安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、源にもっと関心をもって欲しいものです。このままでは、ほう射 ・能に汚染されていないものを選べなくなると思いますよ。

 数年前の石川県の志賀源の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。「私はいままで源のことを知らなかった。今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに「悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀源が運転に入ったから」って言われた。源のことは何も分からないけど、初めて実感として源のことが分かった。どうしたらいいのか」って途方にくれていました。みなさんの知らないところで、日本の海がほう射 ・能で汚染され続けています。
内部ひ・爆が一番怖い

 源の建屋の中は、全部の物がほう射 ・性物質に変わってきます。物がすべてほう射 ・性物質になって、ほう射 ・線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でもほう射 ・線が突き抜けるからです。体の外から浴びる外部ひb曝も怖いですが、一番怖いのは内部ひb曝です。

 ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。源の中ではこのホコリがほう射 ・能をあびてほう射 。性物質となって飛んでいます。このほう射 能をおびたホコリが口や鼻から入ると、それが内部ひg曝になります。源の作業では片付けや掃除で一番内部ひb曝をしますが、この体の中からほう射 。線を浴びる内部ひ。曝の方が外部ひg曝よりもずっと危険なのです。体の中から直接ほう射 。線を浴びるわけですから。

 体の中に入ったほう射 ・能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、ほう射 、能を体の中に置いたままになります。また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、決してゼロにはなりません。これが非常に怖いのです。どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきますから。

 源を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。きれいにしておかないとほう射 。能のホコリが飛んで危険ですから。

 私はその内部ひb曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。源のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。
普通の職場環境とは全く違う

 ほう 射。能というのは蓄積します。いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。これが怖いのです。日本のほう射 ・線管理というのは、年間50ミリし ・ーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。

 例えば、定検工事ですと三ケ月くらいかかりますから、それで割ると一日分が出ます。でも、ほう射 ・線量が高いところですと、一日に五分から七分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。そんなことをすると白 血病とかガンになると知ってくれていると、まだいいのですが……。電力会社はこういうことを一切教えません。

 稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。動いている源はほう射 。能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。

 なぜ、源を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、源を一日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。ほう射 ・能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。
「絶対安全」だと五時間の洗脳教育

 源など、ほう射 。能のある職場で働く人をほう射 。線従事者といいます。日本のほう射 。線従事者は今までに約二七万人ですが、そのほとんどが源作業者です。今も九万人くらいの人が源で働いています。その人たちが年一回行われる源の定検工事などを、毎日、毎日、ひ 曝しながら支えているのです。

 源で初めて働く作業者に対し、ほう射 。線管理教育を約五時間かけて行います。この教育の最大の目的は、不安の解消のためです。源が危険だとは一切教えません。国のひ曝 。線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で源反対の人たちが、ほう射 、能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”である、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間かけて洗脳します。  

 こういう「源安全」の洗脳を、電力会社は地域の人にも行っています。有名人を呼んで講演会を開いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。だから、事故があって、ちょっと不安に思ったとしても、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって、「源がなくなったら、電気がなくなって困る」と思い込むようになるのです。

 私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわかりません。みなさんから現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、ほう射 。能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。体の具合が悪くなっても、それが源のせいだとは全然考えもしないのです。作業者全員が毎日ひf曝をする。それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。本人や外部にひd曝の問題が漏れるようでは、現場責任者は失格なのです。これが源の現場です。

 私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、酒量が日毎に増していきました。そうした自分自身に、問いかけることも多くなっていました。一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないのかと。気がついたら、二〇年の源労働で、私の体もひ d曝でぼろぼろになっていました。
だれが助けるのか

 また、東w京電s力の福島源で現場作業員がグラインダーで額(ひたい)を切って、大怪我をしたことがありました。血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。ところが、その怪我人はほう射d,能まみれだったのです。でも、電力会社もあわてていたので、防 d護服を脱がせたり、体を洗ったりする除s洗をしなかった。救急隊員にもjほう射 能s汚染の知識が全くなかったので、その怪我人はほう射s能の除w洗をしないままに、病院に運ばれてしまったんです。だから、その怪我人を触った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、また汚染が広がるというふうに、町中がパニックになるほどの大変な事態になってしまいました。みんなが大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたいと思って必死だっただけで、ほう射d能は全く見えませんから、その人がほう射d能で汚染されていることなんか、だれも気が付かなかったんですよ。

 一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事故が起きて大勢の住民がほう射d能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。想像できますか。人ごとではないのです。この国の人、みんなの問題です。
びっくりした美 s浜源細管s破断事故!

 皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の源はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーま異ル島とかチェ留ノ部イリに匹敵する大事故です。一九八九年に、東京電力の福島第d二源で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。

 そして、一九九一年二月に、関西電力の美s浜源で細管が破断した事故は、ほう射s,能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。

 チェるノ部イリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。源を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。だから、ああ、たまたまチェ留ノ部イリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。しかし、美s浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。

 この事故はEえCCおS(緊急炉s心ww冷却装置)を手動で動かして源を止めたという意味で、重大な事故だったんです。EえCCSというのは、源の安全を守るための最後の砦に当たります。これが効かなかったらお終りです。だから、EえCCSを動かした美w浜の事故というのは、一億数千万人の人を乗せたバスが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているのに、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。

 原しs炉の中のほうs射d能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒でチェるノ部イリになるところだった。それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。

 この事故は、二ミリくらいの細い配管についている触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが原因でした。施工ミスです。そのことが二十年近い何回もの定検でも見つからなかったんですから、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張るという、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった事故でもあったんです。
藻んじゅの大事故

 去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にある動え燃(動s力炉・かく燃s料開発事業団)の藻んじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。藻んじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていましたが、源だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。

 ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。でも、合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。

 図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇・五mm切下げなんです。たった〇・五mmですが、百カ所も集まると大変な違いになるのです。だから、数字も線も合っているのに合わなかったのですね。

 これではダメだということで、みんな作り直させました。何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。

 どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五mmについて、切り上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようというような話し合いをしていなかったのです。今回の藻んじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったんではないでしょうか。

 どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。

 動m燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。

 しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。美s浜源の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこには十五基も源がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。だから、私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。「今回は腹を据えて動d燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。

 それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ! 事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。

 普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、とらえ方がまったく違います。この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には源の事故の危機感がほとんどないのです。
日本のぷル戸ニウ無がフランスのかく兵器に?

 藻んじゅに使われているプル戸ニウ無は、日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。再処理というのは、源で燃やしてしまったウsラン燃料の中に出来たぷル戸ニウ無を取り出すことですが、ぷル戸ニウ無はそういうふうに人工的にしか作れないものです。

 そのぷル戸ニウ無が藻んじゅには約一・四トンも使われています。長崎のげん爆は約八キロだったそうですが、一体、藻んじゅのぷル戸ニウ無でどのくらいのげん爆ができますか。それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減期が二万四千年もあるので、永久にほう射s能を出し続けます。だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、ぷル戸ニウ無はこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。

 しかし、日本のぷル戸ニウ無が去年(一九九五年)南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は、余りいません。フランスの再処理工場では、ぷル戸ニウ無を作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。だから、日本のぷル戸ニウ無が、この時の核実験に使われてしまったことはほとんど間違いありません。

 日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら、簡単だったのです。つまり、再処理の契約を止めればよかったんです。でも、それをしなかった。

 日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、この再処理のお金なんですよ。国民はそんなことも知らないで、いくら「かく実験に反対、反対」といっても仕方がないんじゃないでしょうか。それに、唯一のひ爆国といいながら、日本のぷル戸ニウ無がタヒチの人々をひ爆させ、きれいな海をほう射s能で汚してしまったに違いありません。

 世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。普通の原発で、ウwランとぷル戸ニウ無を混ぜた燃料(MおーX燃料)を燃やす、いわゆるプwルサー真ルをやろうとしています。しかし、これは非常に危険です。分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。源の元々の設計がぷル戸ニウ無を燃すようになっていません。ぷル戸ニウ無はかく分裂の力がうランとはケタ違いに大きいんです。だからげn爆の材料にしているわけですから。

 いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。早く源を止めて、ぷル戸ニウ無を使うなんてことも止めなければ、あちこちでひd曝者が増えていくばかりです。
日本には途中でやめる勇気がない

 世界では源の時代は終わりです。源の先進国のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年までに源を半分にすると発表しました。それに、ぷル戸ニウ無の研究も大統領命令で止めています。あんなに怖い物、研究さえ止めました。

 藻んじゅのようにぷル戸ニウ無を使う源、高速増s殖s炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。ドイツは出来上がったのを止めて、リゾートパークにしてしまいました。世界の国がぷル戸ニウ無で発電するのは不可能だと分かって止めたんです。日本政府も今度の藻んじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。でも、まだ止めない。これからもやると言っています。

 どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。みなさんもそんな例は山ほどご存じでしょう。

 とにかく日本の原し力政策はいい加減なのです。日本は源を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。その内に何とかなるだろうと。そんないい加減なことでやってきたんです。そうやって何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。

 もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原し力工学科があって、それなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原し力から離れてしまい、東大をはじめほとんどの大学からなくなってしまいました。机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。

 また、日立と東芝にある原し力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。メーカーでさえ、原し力はもう終わりだと思っているのです。

 原し力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原し力談義』という本で、「日本政府がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウwランとかぷル戸ニウ無を持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。そして日本はそれらでかく兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、源をもっともっと造ろうということになるのです」と書いていますが、これもこの国の姿なんです。
廃炉も解体も出来ない源に

 一九六六年に、日本で初めてイギリスから輸入した十六万キロワットの営業用原し炉が茨城県の東w海村で稼動しました。その後はアメリカから輸入した源で、途中で自前で造るようになりましたが、今では、この狭い日本に一三五万キロワットというような巨大な源を含めて五一の源が運転されています。

 具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに動かし始めた源ですが、厚い鉄でできた原し炉も大量のほう射s能をあびるとボロボロになるんです。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一九八一年に十年たった東w京電力の福島源の一号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原し炉はかく反応に耐えられないと、問題になりました。

 この時、私も加わってこのげn子炉の廃炉、解体についてどうするか、毎日のように、ああでもない、こうでもないと検討をしたのですが、ほう射え能だらけの源を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても大量のひd曝が避けられないことなど、どうしようもないことが分かったのです。原し炉のすぐ下の方では、決められた線量を守ろうとすると、たった十数秒くらいしかいられないんですから。

 机の上では、何でもできますが、実際には人の手でやらなければならないのですから、とんでもないひ曝を伴うわけです。ですから、ほう射w能がゼロにならないと、何にもできないのです。ほう射え能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしていますが、ロボットがほう射え能で狂ってしまって使えないのです。

 結局、福w島の源では、廃炉にすることができないというので、源を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量のひ曝をさせて、原し炉の修理をしたのです。今でもその源は動いています。

 最初に耐用年数が十年といわれていた源が、もう三〇年近く動いています。そんな源が十一もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。

 また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原し炉はたった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これもほう射え能漏れを起こして止まっています。机上の計算では、修理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円もかかるそうですが、大学の年間予算に相当するお金をかけても廃炉にはできないのです。まず停止してほう射s能がなくなるまで管理するしかないのです。

 それが一〇〇万キロワットというような大きな源ですと、本当にどうしようもありません。
「閉鎖」して、監視・管理

 なぜ、源は廃炉や解体ができないのでしょうか。それは、源は水と蒸気で運転されているものなので、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐサビが来てボロボロになって、穴が開いてほう射s能が漏れてくるからです。源はかく燃料を入れて一回でも運転すると、ほう射d能だらけになって、止めたままにしておくことも、廃w炉、解体することもできないものになってしまうのです。

 先進各国で、閉鎖した源は数多くあります。廃w炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発電を止めて、かく燃料を取り出しておくことですが、ここからが大変です。

 ほう射w能まみれになってしまった源は、発電している時と同じように、水を入れて動かし続けなければなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそういう所の補修をし、ほう射w能が外に漏れださないようにしなければなりません。ほう射え能が無くなるまで、発電しているときと同じように監視し、管理をし続けなければならないのです。 

 今、運転中が五一、建設中が三、全部で五四の源が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を続けると、余りにも危険な源もいくつかあります。この他に大学や会社の研究用の原し炉もありますから、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいのは一三五万キロワット、大小合わせて七六もの原し炉があることになります。

 しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金儲けにならない閉鎖した源を本気で監視し続けるか大変疑問です。それなのに、さらに、新規立地や増設を行おうとしています。その中には、東海地震のことで心配な浜w岡に五機目の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設もあります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつもあります。それで、二〇一〇年には七〇〜八〇基にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂っているとしか思えません。

 これから先、必ずやってくる源の閉鎖、これは本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された源が日本国中いたるところに出現する。これは不安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だけでしょうか。
どうしようもないほう射え性廃棄物

 それから、源を運転すると必ず出るかくのゴミ、毎日、出ています。低レベルほう射え性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量のひ曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。

 日本が源を始めてから一九六九年までは、どこの源でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海源にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。

 しかし、私が源はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中のほう射w性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。

 現在は源のゴミは、青森の六wケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか。どうなりますか。

 もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済かく燃料を再処理してぷル戸ニウ無を取り出した後に残ったほう射w性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの会社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年)フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。この容器の側に二分間いると死んでしまうほどほう射w線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六wケ所え村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。みんな困っています。

 源自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、源の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいのほう射w能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ、捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにかく日本中がかくのゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。それには一日も早く、源を止めるしかなんですよ。

 私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「ほう射w能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きしていいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視するといいましたが、今の大人がするんですか? そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。

 それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。源が動いている限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だということです。
住民のひ曝と恐ろしい差別

 日本の源は今まではほう射w能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウソがつけなくなったのです。

 源にある高い排気塔からは、ほう射w能が出ています。出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間ほう射w能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、ほう射え能をあびてひ曝しているのです。

ある女性から手紙が来ました。二三歳です。便箋に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。源の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか」と書いてありました。この娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々で起きています。

 この話は源現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。皆さんは、源で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のように、源の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。 こういう差別の話は、言えば差別になる。でも言わなければ分からないことなんです。源に反対している人も、源は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから源はいやなんだと言って欲しいと思います。源は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。
私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は源はいやだ。

 最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊源の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。源は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。

 話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 

 「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、源問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊源のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間ひ曝している。原し力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。

 「源がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は源はいやだ」と。ちょうど、泊源の二号機が試運転に入った時だったんです。

 「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも源を止めている」と言う。

 「二基目が出来て、今までの倍私はほう射w能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。

 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。

 担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。

 これは決して、原し力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。
源がある限り、安心できない

 みなさんには、ここまでのことから、源がどんなものか分かってもらえたと思います。

 チェるノ部イリで源の大事故が起きて、源は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「源が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は源から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。

 でも、それは国や電力会社が「源は核の平和利用です」「日本の源は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、源は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。藻んじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。

 源は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、源は働く人を絶対にひ曝させなければ動かないものだということです。それに、源を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、ひ曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。

 みなさんは、源が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人がひ曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、源は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。源がある限り安心できないのですから。

 それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した源を管理するのは、私たちの子孫なのです。

 そんな源が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、源は絶対に核の平和利用ではありません。

 だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原し力w発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。

 ですから、私はこれ以上源を増やしてはいけない、源の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している源も、着実に止めなければならないと思っていあす。

 源がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。

優しい地球 残そう子どもたちに
筆者「平い憲w夫さん」について:

1997年1月逝去。
1級プランwト配管技能士、源事故調査国民会議顧問、源ひ曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)源差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女え川源差し止め裁判原告特別補佐人、福島w第2源3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「源被w曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。


原し力発電がなくても暮らせる社会をつくる国民会議
http://genpatsu_shinsai.tripod.co.jp/
↑       
以前のリンク元が削除されています。下のアーカイブデータをご覧下さい。
文字が読めない場合は、ブラウザ表示を Shift JIS に変更して下さい。

http://web.archive.org/web/*/http://genpatsu_shinsai.tripod.co.jp/






[このみ/ Konomi CampbellComment(2)]

Edited by このみ/ Konomi Campbell 2011/03/27 23:48:24
Last Modified 2011/03/30 09:49:31

< 前のページ | このみ/ Konomi Campbell BackNumber | 後ろのページ >

コメント(Comment)


こんにちは。
いつもブログ見ています。
この記事を読んで、悲しみで涙が流れそうになります。でも当事者の方々の悲しみは、こんなものではないですね。
某テレビ語学講座の先生のブログから紹介のあった記事です。
良かったら読んでみてください。
http://www.insightnow.jp/article/6430?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

投稿者(Contributor):miagolare|2011/03/31 10:43:30


コメントありがとうございます。
ご紹介のページも見させていただきました。
そういうことをやっていられる人々に、呆れるような、愕然とした気持ちになります。
知らないことは本当に恐ろしいことで、教えてくださって、本当にありがとうございます。
みんなで暴露し、声を上げていくこと、大切なことだと思います。

ごく一部の人間は人の命よりお金を大事にする、そのために動いているということを、今回震災以降以前よりずっと知りました。

私たちは、その世界のある一部の動きを知った上で、平和運動をする必要があると考えています。何が敵なのかを知って、自分の周りから(心から)平和を作り出す。自分たちのローカルな範囲から平和そ作り出す。

反対するのも、ネガティブな力になります。平和を作ることを精一杯していきたいと思っています。

いつも見ていてくださってありがとうございます。
どうぞこれからもよろしくお願いします。

ありがとうございました!!!!!!

投稿者(Contributor):konomi|2011/03/31 11:09:57

コメントを投稿(Comment)

(コメントを表示する前に管理人の承認が必要になることがあります。承認されるまでは表示されませんので、しばらく待ってください。)

名前(name):
(必須:ハンドルネームOK、実名OK)

URL:
(任意:HPを知らせたい場合)

メール(mail address):
(任意:連絡をとりたい場合)

コメント(comment):

個人情報などは入力しないでください。
その場合はお問い合わせフォーム(Contact us)でお願いします




ソフィア・ファーム・コミュニティー [バイオダイナミック農法]
Contact us
May Peace prevail on Earth!


Copyright © 2008-2024 ソフィア・ファーム・コミュニティー. All Rights Reserved